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SPECIAL COLUMN|安井行生のピナレロ論【前編】
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貧乏学生、ロードの深遠を知る
ショーウインドーの中に飾られた鮮やかなオレンジ色の初代プリンスに見とれていたのは、もう25年も前のこと――。各世代のピナレロ各車に試乗し、自身でも何台ものピナレロを買って所有してきたジャーナリスト、安井行生によるピナレロを軸にしたロードバイクブランド論。前編はドグマFPXまでの金属フレーム時代の回顧録。
第一次接近遭遇
そのショップの中で一番の上座である、最上階の大通りに面したショーウインドーの中に飾られたそれを見て、ずっと溜息をついていた。
これが、あの……。
当時は大学1年。雑誌で大絶賛されロード乗り達の話題をかっさらっていたバイクがこのショップに入荷したと知って、わざわざ見に来たのである。
そのオレンジ色の初代ピナレロ・プリンスは、ガラスの中で明るい照明を浴びて輝いていた。大袈裟かもしれないが、自転車のフレームというより、宝石とか、女神とか、美術館に並ぶ作品とか、そういう存在感に近かった。当時の定価でフレーム価格が税別32万円ほど。今となってはどうということのない価格だが、当時としては信じられないくらいの高級車である。もちろん、家賃は滞納するわ電気とガスはしょっちゅう止まるわの貧乏学生には逆立ちしても買えない。
「学生さん?」
10分ほどガラスに張り付いていたら、急に話しかけられてびっくりする。
振り向くと、店長と思しきスーツ姿の中年男性。
「興味あるなら、学生ローンも組めるから」
そう言われて、怖くなって逃げるようにその店を出た。自転車のフレームにローンって……。当時のプリンスは人気に対して供給が追い付かず、納期が伸びに伸びて、市場ではプレミア価格が付いていたくらいだから、在庫していたそのショップはピナレロにとって優良店だったのだろう。
これが、甘くも酸っぱい、僕とピナレロとの第一次接近遭遇だった。
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ついに女神がウチに
そのたった3年後、僕はあのとき見たのと同じオレンジ色のピナレロ・プリンスを手に入れることになる。宝くじを当てたわけでも、闇バイトに手を出したわけでもない。大学生活と平行して始めたメッセンジャーの給料を全額突っ込んだのだ(だから相変わらず家賃は滞納気味だったし、電気とガスはときどき止まっていた)。
さすがに新車は買えず中古だったが、ぴゅーぴゅーと音を立てて隙間風が吹き込むほどのボロアパートに、7700系デュラエースで組まれたプリンスが鎮座した。今となっては冗談にもならないほど間抜けた光景だが、当人はいたって本気だ。ため息が出るほど素晴らしい塗装。凛々しくも繊細でこの上なく美しいシルエット。ついに女神がウチに、と四畳半で夢見心地である。
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1998年に登場したこの初代プリンスは、インテグラルヘッドとカーボンバックという、当時としては最新の構造をいち早く採用していた。それまでインテグラルヘッドのロードフレームはほとんど存在していなかったし、カーボンバック構造はこのプリンスが世界初ではなかったかと思う。
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そんな「使い慣れていない技術」を採用していたにもかかわらず、結果としてこの初代プリンスは出色の完成度を持っていた。大口径のアルミチューブを使ったマッシブなフレームワークだったが、不思議と剛性過多に陥ってはおらず、むしろかなりしなやか。ハンガーをフワッとスウィングさせて紡ぎ出す繊細かつ濃厚な加速、路面に貼りつくようなハンドリング、思わず口元が緩んでしまう極上の乗り心地。そのとき乗っていたトレックのOCLVカーボンフレームの、ただひたすら実直に硬く、ただ無機質に速い、という性能とは別種の、有機的で味わい深く総天然色の世界。
トレックのカーボンフレームは自転車の性能の高みを見せてくれたが、ピナレロのカーボンバックフレームはロードバイクの世界の深みを感じさせてくれたのである。
その後、ピナレロはプリンスをデダチャイ・U2を使った500本限定の軽量フレーム「プリンスLS」、オンダフォークを採用した「プリンスSL」と進化させつつ、2003年にマグネシウム合金-カーボンバックフレームのドグマをデビューさせ、新たな旗艦に据えることになる。
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諸刃の剣
しかし、世の高性能車はすでにカーボンへ移行しつつあった。ピナレロは、ライバル他車がラインナップのカーボン化を進めるなか、2004年にダブルバテッドのドグマFPへ、2007年にはトリプルバテッドのドグマFPXへと進化させ、マグネシウムで戦い続けた。
今から思えば、ピナレロのこの「金属への固執」は、時代遅れになるという危険性をはらんだ諸刃の剣的戦略だった。のちにファウスト・ピナレロ氏に当時のことを尋ねたところ、「プロの要望に応えるためには、フルオーダーが可能な金属溶接のフレームが必要だった」と教えてくれた。ユーザーにとって直接的には関係がない話だが、しかしドグマの存在があまりに孤高だったため、「俺たちはマグでいく」という唯我独尊の姿勢が僕の目には魅力的に映った。
それは、今ほど技術戦争が激化しておらず、構造的素材的最適解がはっきりとしていなかった時代の、ロマンチックなひとときだったのだと思う。
再び私事に戻ると、身分不相応な初代プリンスを買ったあと、結局、同じ初代プリンスを3本、プリンスSLを2本、プリンスの下位グレードである初代マーヴェルを2本、スチール-カーボンバックフレームのオペラを1本と、次々とピナレロを乗り換えていた僕は、もちろんドグマも手に入れた。職は「メッセンジャー、ときどき学生」から「見習いライター」へと変わっていたが、相も変わらず貧乏だったので、ドグマの現役時代に入手は叶わず。カタログ落ちして数年後に、地方のショップにデッドストック品として飾ってあった初代ドグマを見つけたのだ。
路面に薄膜を敷いたような大径金属フレームとは思えない快適性と、豊潤と表現すべきトラクションの両立は金属フレームとしては見事なものだったが、同時に金属フレームの限界も見えた。結局、マグネシウムに追従するメーカーはほぼ現れず、ロードバイク史におけるマグネシウム時代は一瞬だったが、それがかえって「唯一無二」「孤高の存在」というイメージを作り上げ、ピナレロのブランド力は増強される結果となった。そうしてピナレロが名声を築いた金属フレームの時代は、3代目のドグマFPXで幕を閉じることになる。
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