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SPECIAL COLUMN|安井行生のピナレロ論【後編】
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伯仲の時代を生き抜くために
スチール、アルミ、マグネシウムと、金属フレームの時代に名声を築いたピナレロ。カーボン化には後れを取ったように思えたが……。自身でも何台ものピナレロを買って所有してきたジャーナリスト、安井行生によるピナレロを軸にしたロードバイクブランド論。後編はカーボン化以降の旗艦、ドグマの快進撃とスタイリングを考察する。
変化・進化か、個性・歴史か
ファンというものはいつの時代も、変化を嫌い、進化を否定し、革新を拒絶する生き物である。
曰く、“らしさ”がなくなった。歴史への冒涜だ。個性が消えた。裏切られた――。
しかし、そんな彼らの期待に応え続けるために、メーカーが伝統を重視し変化を拒絶し時代に取り残され衰退しても、肝心のファンは助けてくれない。
それに、スポーツバイクは「重量ゼロ、走行抵抗ゼロ」に達するまで変化と進化を求め続けられている乗り物である。だから、いくつものメーカーが「我が社の伝統」とやらに固執し、その結果消え去っていった。
金属フレームにこだわっていたかに思えたピナレロだが、しかし方向転換は早かった。ミドルグレードでカーボンフレームの模索をしたあと、2006年に名車プリンスをカーボンフレームとして復活させる。
「あれだけ金属時代のピナレロを買ったのだから……」という妙な使命感もあり、このプリンスカーボンも手に入れ、一時期メインバイクとして乗っていた。目が覚めんばかりの高剛性に、艶ありの黒と艶消しの黒が入り混じるBoB(black on black)というニヒルなカラーが相まって、まるでパワースーツを着用したかのような気分になれるバイクだった。
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続けて2009年にはドグマをカーボン化する。そうしてピナレロは、時代の流れに急加速で合流したのである。
その一方で、金属フレームで名声を獲得したピナレロだったから、「ピナレロの衣を纏った平凡なカーボンフレームになってしまうのか」という懸念もあった。要するにカーボン時代のピナレロの見どころは、「初代パリから初代プリンスを経てドグマFPXへ至る金属フレーム時代の10年間で築き上げた個性をどう維持するか」と、「高剛性&エアロ化が進んだ現代ロードバイク界の最前線に居続けられるか」という2点の、バランスの取り方にあった。
巧妙なカーボン化
設計技術的に見るならば、マグネシウム時代のドグマを第一世代とすると、カーボン化以降のドグマは、第二世代(ドグマ60.1~ドグマ2~ドグマ65.1)と、第三世代(ドグマF8~ドグマF10~ドグマF12~先代ドグマF~現行ドグマF)に大別できる。
第二世代は、左右非対称設計や高弾性カーボンなどの先進的なスペックを取り入れたうえ、オンダフォークの湾曲がフレーム全体に感染したかのような形状となり、視覚的に新たなピナレロらしさを備えることに成功していた。さらに、安定感、重厚感、軽快感が絶妙にブレンドされた走りと、加速プロセス後半で背中を押し出す力強さ、要するに旧来の性能的ピナレロらしさも継承されていた。
ピナレロは、前出の「ピナレロらしさ」と「絶対的性能」の2点を絶妙なバランス感覚で両立させつつ、カーボン時代をスタートさせたのである。
2014年、ドグマはがらりと姿を変え、ドグマF8に。このときから空力性能を強く意識した設計となり、2017年のドグマF10、2019年のドグマF12、2021年のドグマFと、矢継ぎ早にモデルチェンジを繰り返す。この第三世代は、空力性能を重視しただけでなく、明確な高出力前提志向に。剛性が上がり、低速から高速までカンカンに反応するようになり、ハンドリングもシャープになった。「エアロの時代への適合と高出力・高速域への特化」― それが第三世代ドグマのテーマだったのだろう。
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たった2年おきという第三世代のひっきりなしの変化は、基本的に同一線上にあるものだった。基本的なシルエットも同じであれば、「より速くより硬くよりエアロに」という方向性も同じ。ビッグマイナーチェンジと言ってしまってもいい変化幅である。
しかし、その走りはどんどん磨き上げられ、特にドグマFになってからはF8~F12で見られた荒削り感が消え、洗練されていった。具体的には、動的性能を維持したまま、踏みやすく扱いやすくなり、一体感が高まったのである。各世代の差はわずかであり、同条件で比較しなければ気付かないくらいの性能差ではあるが、人間との親和性を上げ、走りに深みを加えたという点においては、第三世代の進化には意味があるものだった。
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破綻する一歩手前
第三世代で磨き上げられたのは動的性能だけではない。フレーム形状もしかりである。
主観であることを承知でスタイリング論などというものを一席ぶつならば、F8~F10は全体的にすっきりとしており流麗でいかにもスマートだが、今から思えばやや個性に乏しかった。F12~先代Fは、フレーム各部のラインがパキッと折れるようなデザインとなり、個性は増したが「形が饒舌に過ぎる」という印象を与えかねないものだった。
その先代ドグマFから、現行ドグマFへのスタイリング変化は、実に興味深い。2台を並べて見比べてみると、基本的なシルエットは完全に同一である。部分的には間違い探しレベルで似ているのだが、少し離れて全体を俯瞰してみると、受ける印象はかなり異なる。
先代Fはフレーム細部のデザイン要素の多さに視線が一瞬迷うが、新型Fは形の持つ魅力を一瞬で理解できる。そういう違いだ。フレーム形状の細部の磨き上げが積み重なり、全体的な印象の差となって表れているのかもしれない。ミース・ファンデル・ローエの「God is in the details」を、初めて実体験として理解できた。
現行F、個性的でありアクが強いことに変わりはない。ここまで各チューブをぐにゃぐにゃと湾曲させると、ともすれば奇をてらっただけの醜い物体になってもよさそうなものなのに、実物はそうなる直前で踏みとどまり、ギリギリのバランスでエレガンスが成立している。
逆に考えれば、「あえてここまで攻め込んだ」ということだ。そうすることで、現行Fは全身に「薄氷を踏むような危うい美しさ」を纏い、見るものを瞬間的にはっとさせるのである。
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ただスマートなもの、ただカッコいいだけのものは、誰にだって作れる。「伸びやかなライン」だとか「優雅な曲線」だとかを画用紙にお絵描きすればいい。しかし、それではライバル他車と同工異曲になってしまう。事実、「スマートでカッコいいエアロロード」はそこいらに掃いて捨てるほどある。
解析技術が進化し空力の時代になり、模倣が繰り返された結果、最適解は一つへの収斂し、個性が失われたと言われる。しかも自動車とは違って、自転車、とくに性能が求められるスポーツバイクは、フレーム=応力担体であり、空力的に洗練させる必要がある。形を情緒に従っていじくりまわせるわけではない。故に、積極的にスタイリング面をアピールするメーカーは少なくなった。
そんな同工異曲から脱するために、ピナレロは第三世代で緻密なスタイリング攻勢をかけたのだろう。それが結実し、完成の域に達したのが現行Fなのだと思う。
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ピナレロであることの意味
前編の冒頭に記したように、2000年前後のピナレロは本当に特別な存在だった。その走りにおいて。その見た目において。それはロード界の技術が未熟であり、今よりももっと長閑なもの作りが行われていたが故のものでもあった。
翻って現在は、技術と性能が拮抗しはじめ、同時にレーシングバイクの性能が一般サイクリストとは無関係な領域へと達している。故に、ロードバイクの商品力を決めるのは性能だけではなくなってきた。
そういう世界では、かつてのように性能面での一点突破や突出はしにくくなっている。単なるパフォーマンスやスペックを売りにしていたのでは生き残れない時代になっている。「技術勝負だ」「お客様の求めているものを作るんだ」「安くていいものを作っていればいつかは分かってもらえる」という愚直な姿勢で突き進んでいれば、数年後に中国メーカーに徹底的に蹂躙されるだろう。
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しかしドグマは違う。ピナレロは違う。万人に好かれようとしていない。全員に愛されようとしていない。
似合わない人には似合わず、買えない人には買えないかもしれないが、ただただ速く美しく他とは違う自転車を作りたい―― そんな独善的なもの作りが許されているのは、社内で「ピナレロはこうあるべきだ」「現代のドグマはこうあるべきだ」という思想が確立されており、しかもコアメンバー全員がその想いを共有しているからだろう。長であるファウスト・ピナレロ氏はもちろん、各部門の技術者、プロダクトマネージャー、デザイナー、テストライダー、チーム担当者、広報担当者まで、迷いが一切ない。そうでなければ、現行ドグマFがこれほどまでの存在にはなれないはずだ。
そんな思想を掲げることが許されるメーカーは少ない。そういう意味で今もピナレロは、ピナレロであることの意味が深く埋め込まれた自転車なのである。
END